西村慶子歌集『むさしあぶみ』

しろじろと遠き桜のつらなりを眺めをりしにはやもみどりに

おのれひとりの時もつ夫かしづかなる目を向けてゐる盆踊りの輪

うすべにの小花が茎を巻きのぼるもぢづりかなし芝にはなやぐ

あてもなきあゆみたのしみ里山にあくがれてゐる童女さながら

時をかけ聴かうと耳に手を添へて悲しきかたちのわれとなりゐつ

 

過ぎ去っていった歳月のなかで、陰翳をもってよみがえる、夫の、友の声、そして草花。目を閉じて、深く静かにこころをめぐらせれば、かれらは歌のすがたとなって現れてくる。

森みずえ歌集『水辺のこゑ』

娘を乗せて電車曲がりてゆきしあと駅のさくらのしんと匂へる

生まれたる水辺のほかをまだ知らず水とりのひな母に従きゆく

ひしめきて稚魚のぼりくる朝の潟はなのやうなる海月も混じる

雪やなぎ白たわわなるその下に二人子睦みゐたる日のあり

森の上にひとたび浮いてゆつくりと水に降りゆくしらさぎの脚 

 

鳥の声、虫の声、風に揺れる木々の声。

みんな純真な嬰児(みどりご)のように思えてくる日。

誰かがどこからか私にそっとささやきかけてくる。

 

もう、急がずに衒わずに

歌を詠めばいいのだよ。

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

  

松岡秀明歌集『病室のマトリョーシカ』

ホスピスへの入院希望を書く紙に誰の意志かを(ただ)す欄あり

それぞれの(せい)へひとみな帰りゆく追悼試合終はり日暮れて

わが横でメス動かせる相棒は裁縫上手な大阪女

嬰児(みどりご)の碧の眼濡れてあれば海原の始めここにありと見ゆ

森といふ器に母は寝転びて父なるわれは子を空に抱く

踊り手でありし男の病室にオディロン・ルドンの花咲きほこる

マトリョーシカ分かちてつひに現はるるうろをもたないさき人形

 

この歌集の著者は、精神科医であり、ホスピスの医師でもある。医師という仕事は、人間の死を、死んでゆく人によりそうようにしてごく近くで見る機会もあれば、鳥の視点のように広い大きな視野で冷静にながめうる機会もある。この歌集には多くの人間の死がうたわれていて、読者は、死を、当然のことながら生についても、独特の遠近法でうたわれた歌にであうことができる。          佐佐木幸綱

 

A5版上製カバー装 2600円・税別

 

国吉茂子歌集『あやめもわかぬ』

夕暮れてあやめもわかぬ感情のこんなさびしさ夫長く病む

眼つむれば理想郷(ニライ)の風の頰を撫づ海に抱かれ母に抱かれ

思ひ出はユングフラウの氷河にも小鳥ゐしこと君がゐしこと

戦争も生中継さるる世となりてあぐらをかいて死と向き合へり

墓前にて行ふ御清明(ウシーミー)明るくて島の桜は疾うに葉ざくら

 

断念のかたちとは、

心からの祈りのかたち。

まぶしい南国の太陽、

マンゴーの木をのぼる樹液。

沖縄ニライの風が歌を呼ぶ。

海が歌う、島も歌う、もろともに!

 

現代女性歌人叢書⑮  2500円・税別   

寒野紗也歌集『雲に臥す』

岩の上に姿を晒し飛び跳ねる若鮎のまま水に戻らず

野をめぐり雲に起き臥す「花月」舞う姑在りし日の夏能舞台

神棚の水替え供花の茎を切る務めねば消ゆきのうのすべて

ひとりずつ春の野原に発たせては降り出す雨に顔をむけたり

筆描きの古代絵地図の遥ばろと海と陸とは移ろいにけり

 

かがり火が揺れる。

光に照らし出される白足袋の白。

なつかしい人々への思いを抱きながら、

幽冥界の境へと歩み出て

たおやかに歌を舞う!

 

現代女性歌人叢書 2500円・税別   

菅原恵子歌集『生』

つくばいのめぐりに笹の風()れて空蝉の眼にも映るささのかぜ

大根を抜きたる穴に雪積もりやがて真白き雪原生まる

針山に待ち針錆びぬ母逝きて時の流れの速さかなしむ

雉のこえ鋭く鳴ける山里に仮りの世を生く少し先まで

はつあきの水と水との触れ合いのかかる幽かな思いを忘る

 

みちのくに棲み、鳥や花や空や雪と交感する日々。

そして・一一の大震災。

激しいこころの揺らぎ、葛藤、失意。だが・・・・・・

畢竟、歌を詠み続けるとは自らの生の証!

 

現代女性歌人叢書⑭  2500円・税別   

赤木芳枝歌集『シドニーの空』

大陸の虹をくぐりて飛行機は母国の空へ去りゆくらしも

葉の色に同化せし虫ちらほらと朝光に見るキャベツの畑

豪州へエアメール給ひし師の文は歌に始まり歌に終はりき

三日月がふくらみ月になるといふ孫と豆腐を買ひに行く道

ここまでの水位も何ぞ生き生きと里芋の葉の緑がそよぐ

 

睡蓮の巻き葉くるくるあやつるは鮒か泥鰌か傘置きて見る

 

 

日本から遠く離れた大陸での日常を詠むことから始まり、日本に戻ってからも長くその国を想いつづけていることに深い味わいがあるといっていい。

晋樹隆彦・跋より

 

四六版上製カバー装 2500円・税別 

 

川守田ヱン歌集『冬木のオブジェ』

戦ふは人に向かふにあらずして挑むごと雪を力込め搔く

吾の巡り和子勝雄の名の多し戦火くぐりし父母らの願ひ

天を射し辛夷のつぼみ鎮魂のらふそくの灯をともし静けき

自らは光り得ぬ月冴え冴えと光りて十夜法要近し

風雪の四日つづきて茜さす夕べオブジェとなりたる冬木

 

基地の街三沢での独居の日々。

雪に閉じ込められた視界の向こうから

みちのくの春を呼び寄せるように歌を詠む。

「終戦戦後のこと」と題した手記が歌と響き合う。

それは南部びとの強靭でしなやかな意志の輝きだ。

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

平松里枝歌集『ぶどうの花』

清明の庭を色どる紅しだれ母も見ませよ満開の花

ほろほろと柿の花ちる細き道むかしも今も畑へとつづく

流れゆく桃の花びら目に追いて一人たのしみ花摘むしばし

雪晴れの美和神社(みわ)の杜見ゆああ今日は上野久雄の誕生日なり

朝まだき畑に見ゆるは幻か 弟が葡萄棚(たな)の雪を払いいる

咲きさかるぶどうの花粉吸うごとし近く引きよせ房づくりする

 

葡萄の花が匂う。葡萄棚を風が吹きすぎていく。

長年、ともに葡萄や桃を育ててきた弟への挽歌。そして、先師・上野久雄への追慕。

甘い果実のたわわな実りとともに、清明な歌のしらべも豊かに熟成していく。

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

落合瞳歌集『鎌倉は春』

遠住める子らに送らん絵葉書の末尾にしるす鎌倉は春

 海も空も絵本の中に見たような青に染まりし岬を巡る

初出勤の若きら溢るる駅頭に春全開の気は漲りぬ

雲連れて西から東に行く風を横切りて人は釈迦堂目指す

客待ちの人力車夫の影法師リズムとりおり鳥居見上げて

ただの主婦ただの嫁ただの母なりきただのわたしに悔い少し持ち

小さき頭もむっちり柔き手も足も降りつぐ五月雨のほの明かき中

 

平穏な日日が事もなく流れていく。それでいい。そのままがいい。深呼吸を繰り返すように、生の時間の(あぜ)にたたずみ、そっと掬いあげてきたものたち。それを歌と呼ぼう。歌に私を、私を取り巻くすべてを精一杯語らせよう。

 

 

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

上林節江歌集『絆』

阿武隈の土手に黄の花咲く頃かほのかに辛き春の菜摘まん

スイスにて出産するとの娘の覚悟いかに支えん母なるわれは

記念の木なれども伐ると諦めることから始まる哀しみのあり

ぽつぽつと漢詩や短歌もちりばめて泣き言いわぬこころが光る

今もまだ長屋門の前に立ち母が待つような小春日の空

 

北国の風土に根ざしつつ、そこに生きるすべてのものを慈しむこころ。どんな辛さの中にあっても周りのものを思いやる上林さんの歌には、やわらかな明るさがある。泣き言を言わなかった母の姿そのままに。        

久我 田鶴子    

 

A5版上製カバー装 2800円・税別

櫟原聰評論集『一期一会』

現代短歌を俯瞰しつつ、古歌の宇宙へと飛翔する自在さ。

文法から口語短歌を明快に分析するあらたな着眼点のたしかさ。

前登志夫門下の歌人が物静かに綴る

さらなる熟成へと向かう論と考察の展開!

  

・主な内容

前登志夫の歌と思想

存在の(すみ)()

『前登志夫全歌集』に寄せて

『樹下集』の頃

「私」論の地平

奈良の歌

ほととぎすの歌

古歌の歌人たち

 

四六版並製 2500円・税別

重田美代子歌集『みこもかる』

「信濃の国は十州に」蓄音機の回転速めきひとり遊びに

浅間嶺の煙ひだりにたなびけば祖母言ひましき「(いくさ)始まる」

イスラムの地に踏み出せば(まな)(さき)に自動小銃向けられてをり

貧困とは無関心なりとマザー・テレサ 住所持たざる若者がゆく

ビルの間を浮遊するごと「ゆりかもめ」底は海とも(くが)とも知れず

 

鯉さばく腕を受け継ぐ祖父の言ふ肝はつぶしてならぬが鉄則

 

紛れもなく著者の歌の原点は故郷である。

〝ふるさと恋ひ〟の心情はどの歌にも微かな揺曳をみせ、作者自身である作品を形成している。

温井松代・序より

  

四六版上製カバー装 2500円・税別

高崎淳子歌集『難波津』

ゲーテ登り茂吉も登りまだらゆきリギの裏山眺めて過ぎる

生は死をそそりムリーニ渓谷にレモン輝き海は誘ふも

国語教師三十六年に魯迅ありヘッセもありて友のごとしも

夏木原松陰の詩にまむかへばさつきつつじがほのかに残る

難波津に百舌鳥の耳原尋ねたり松は緑のときはなる花

 

教師生活を終えた横浜への惜別。

文豪、画工に出会う海外への旅。

研ぎ澄まされた知性と感性の閃き。

 

咲くやこの花――

そう口ずさみつつ人を、歴史を、

風景を、そして世界を凝視する。

 

四六版上製カバー装 二五〇〇円・税別

小寺豊子歌集『水鳥のごとく』

 

 

水鳥のごとくアイロンすべらせてシーツの小さき波を消したり

 

〈「シーツにアイロンをかける場面と水鳥が水面をすべる光景の連想が見事。比喩が大らかで、のびのびしていて、読者を楽しい気分にみちびいてくれる」。幸綱氏が小寺作品の特質をとらえて高く評価したこの一首から歌集タイトルは採られた。〉   伊藤一彦・跋より

 

 

さくら背に母と並びて写真撮る石段ひとつ高さ違えて

掠れゆくこともしないで突然の別れのごとくインクが切るる

五枚目に漸く呼吸(いき)の合いてきて夫と二十枚(にじゅう)の障子張り替う

もう少し雨と呼ばれていたいから川面の水に溶けないわたし

 

五秒後に落としてしまう西瓜抱き写真のなかで微笑む少女

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

 

小紋潤歌集『蜜の大地』

人生の半ばを過ぎてぬばたまのカーマイケルを思ふことあり

われに母在ると思へば夏雲はこの大空に昼をゆたけし

銀河系、その(はじ)まりを思ふときわが十代の孤り(すず)しも

憂ひありて思へばわれに父ありて夕べの祈り捧げゐるらん

顧みてねがふことなきわれになほ盧生の夢のごとき残生

クレヨンに描かれてゆく麒麟なりさうだ象よりずつと喬いぞ

夢ひらく水木の花に沿ひてゆくお前のゐない動物園で

 

ふるさとに帰りて思ふ徴税人マタイが従ひしその人のこと

 

 待望の小紋潤の歌集がついに刊行された。短歌はついに人間なのだ、古くから言われてきたこの言葉がこれほど似合う歌集はめったにない。どの一首をとりあげても、小紋潤の声が聞こえる。小紋潤の息づかいが感じられる。そこに小紋潤その人がいる。

佐佐木幸綱

 

 

那須愛子歌集『希求はるか』

海は母 地球に生命育みつつ四十億年すべて許し来

一生われを守ると君が約束のふいに聞こえてあとは海鳴り

まだ暗き街へ仕事に行く吾娘へマヤ人も飲みしココアを沸かす

震へながらマイクを握る戦争を厭ひし母の影に押されて

人間は水と恋とで出来てゐるはるか原初の平和希求す

 

 

繰り返し詠われる青の歌、海の歌から、人間の根源に立ち返って思索をしながら生きている那須さんの生き方、歌への姿勢を感じました。         木村雅子・序より

赤松佳惠子歌集『いとほしき命』

 

幸せにあるやと受話器の兄の声すなはち父母の心と思ふ

この家を仕切れるわれが猫並みに「おい」と呼ばれてゐる不文律

猫二匹人間二人のこころ四つどれかが常にはみ出し加減

ショッピングカート以外に頼るものは無し外出のたび涙にくるる

体調不安・遠出不安に縛られてほんにわたしはあかんたれなる

 

飾ることがなく伸びやか、真摯な詠風のなかに人生のほろ苦さも感じられて、赤松さんのヒューマンな声をどの作品からも聞くことができる。

 

林田恒浩・跋より

鳥山順子歌集『クロスロード』

「クロスロードみつぎ」起点の遊歩道あるけ歩けと私も歩く

 

みずからの住んでいる土地への深い愛情はよい作品を生み出す。土地の神も応援してくれるからに違いない。広島県の尾道市に住む鳥山順子さんは並々ならぬ愛情を街と自然に対して抱いている。それは本書のどのページを開いても明らかだ。「クロスロードみつぎ」とは町のバス停らしいが、一見ふしぎで何と魅力的な名前だろう。私たちを「クロス」する世界に誘ってくれる楽しい一冊である。                  伊藤一彦

 

愛といふ複雑 庭の冬薔薇のくれなゐの口ほそく()くのみ

並びゐて手をつなぐなき内裏雛こころ濃くなりゆく日におもふ

わが持てるものと気づかず寄りゆけりカーブミラーのなかのひとつ灯

()れし畦道低く咲き初めてなづなよなづな真つ(さら)の白

水雪の融けながら降り現世(うつしよ)と彼の世の境に文旦供ふ

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

福原美江歌集『夕雨の盆』

 

 

久びさに歩き詣でる人麻呂神社父をおくりしのちの初春

白緑のいただき見する高千穂峰(たかちほ)の鳥すむ森のふところに入る

新入生迎へむ机にひらがなの名札貼りをりまつすぐまつすぐ

鹿野遊(かなすび)(いし)河内(かはち)小も閉校す()しき名前の消えゆく平成

濃き淡きあまたの地層かさね来し老いの人生(ひとよ)をうたに教はる

ひともとの極楽鳥花ふるへをり夜半のテレビの銃のひびきに

六十句選び遺句集『花菖蒲』編みて供ふる(ゆふ)(さめ)の盆

 

 

福原美江さんは歴史豊かで思い出深い故郷の石見にしばしば帰っている。抑制のきいた清々しい文体の故郷の歌が『夕雨の盆』のまず印象である。そして、前歌集『雁皮紙』に続く十年間の彼女の宮崎での生活がいかに充実し多忙であったかを証す一冊でもある。大学教授を辞したあとのボランティア活動、最愛の家族の看取り。『夕雨の盆』という優しく寂しいような書名に著者の祈りがある。

伊藤一彦

田土才惠歌集『風のことづて』

なにがなし時計いくつもならべいていずこにあらんわれのみの時

湯たんぽに湯の音とぷとぷ階上る今日の終わりの足音立てて

もの書けばたちまちペンを貸せといい意志見せはじむ一歳の春

ケアハウスの窓ひそやかに開けられて春愁ひとつ今とき放つ

風となり水とはなりてめぐりつついのちのほむら若葉縫いゆく

 

人から人へ、親から子へ、孫へ

風がささやきかけるように

伝えたい思いがある、伝えたい歌がある。

 

 

そっと耳をすませば

言葉はいのちあふれる湧井のようだ。

玉井綾子歌集『発酵』

ビニールの中の塩麹 発酵を促してもむもまれる母性

「地図読めぬ女性」の一人であるわれの方向音痴は父親譲り

エレベーター降りて歩める方向は確かなり母と二人の旅は

四十三年間眠れるDNAわれにもつけよそれからの筋

わが爪と同じく丸い吾子の爪明らかに茂樹の孫たる証 

出社してはずすショールにいつの間につぶれて乾いたごはん数粒

重そうに何度も揺する抱っこひも子を持つ母が示しいる旗

泣きわめく声にかぶせる大声は金切り声と戦争を生む 

 

 

 発酵をうながして塩麹を揉むように、母性もまた揉まれることで発酵していく――そのように捉える知性。変化や成長と言わずに、発酵と言うところにも、この人の柔軟性と賢明さがうかがえる。                      久我田鶴子・跋より

逸見悦子『野あざみ』

 

 

荷を送り発ちし子の部屋広々と三月のカレンダー風にゆれおり

 

すべてキャド駆使する職場になりし今われと製図台細々残る

 

花蜘蛛のいつしか傘の内側に止まりて共に参道下る

 

菜の花の黄色封じて送りくれし母よ彼の日よ今に抱きしむ

 

リズム良き足音駆けゆく窓の下あれは五分刈り青年の音

 

 

明け番の夫の挿したる野あざみの位置整える夜の食卓

 

 

逸見さんは平成三年に「歌と観照」に入会し、平成七年に新人賞にあたる、「歌と観照社賞」を受賞した。「野あざみ」は、おそらく作者の好きな花。山野にも郊外にも見られるが、紫の花の色はさえざえとして、野の花の強い生命力を感じさせる。

五十嵐順子・跋より

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

南條暁美『往き帰る』

坂道の角を曲がれば弟の生れし家なり馬酔木が匂ふ

ページ繰る記憶残して返り来ず亡き弟に貸したる詩集

六歳のわが目に被爆の天主堂煉瓦の浮遊してゆくごとし

梯子のびて若き男が赤き玉を拭きはじめたり風の交差点

好きな場所選んで人は皆ゴビに葬られるとふ広大な墓所

終電の遠く過ぎゆく音のして生きる日々とは往き帰ること

 

「旅が私の人生そのもの」と南條さんはいう。その旅とは、自らの来歴をたどる旅であり、歴史を遡る旅である。さらには人間の生死が見えわたるような場所への旅であろう。                 

 

小林幸子・解説より

 四六版上製カバー装 2500円・税別

安藤直彦『佐夜の鄙歌』

 

夏さればきよら流れの滑石(なめいし)にわれは鮎釣るその床石に

かたくり山に雪は明るく降りながらわれは来たりぬ咲くとなけれど

竜胆は平に添へてあるものを挿しのべてほそく鮎ほぐす指

ひさかたの光に音のあるごとく石をうちつぐ雪解のしづく

人の死をかなしびきたるわが(なづき)をひとゆすりせり朝の地震(なゐ)    

 

鄙に在っては、山川草木、鳥虫魚たちとの交感にあそび、

時として、産霊の神々に言問いながら、

伝統詩型の流麗な調べに、個と普遍の歌世界を喚び込んでやまない。

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

 

恒成美代子『秋光記』

せくぐまりおぼつかなくも生きてゐる母とパンジー風にふるへて

そのやうにしか生きられぬ秋の虫 鳴くだけ鳴いて静かになつた

むつのはな耀ひ母を車椅子に乗せて詣づるうぶすな神に

背伸びして秋の光に手を伸ばすけふのわたしを(ねぎら)ふやうに

 大三角見しことメールに発信し、しんじつ遠し息子はとほい

 

悲しむために生まれたのではない。

目に映る風景はいつもやさしい。

筑紫博多、筑後八女、そこに暮らす人々。

透明な秋の光の中、すべてが穏やかにそよぐ。

 

 四六版上製カバー装 2500円・税別

おの・こまち『ラビッツ・ムーン』

 

水のようなドレスが着たい月の夜 光目指して烏賊昇ります

 

手合わせて水汲み運ぶおさな子の砂の穴いつ満ちるのだろう

 

卵割る指の加減を知らなくて殻は孵らぬいのちと交じる

 

脚本に「ああ」と書くのは楽しくて「ああ」という声一人一人の

 

空見上げ飛びたいウサギの耳は羽ソソラソラソラ月にかえろう

 

あをによし奈良の都の万緑に劇団ひとつ立ち上ぐる君 前登志夫 

 

月のウサギよ跳ねてごらん。

暮らしの隙間のメルヘンを物語るように、

定型という小さな楽器が演じ始める。

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

三井修『汽水域』

 

 

 

 

 

バーボンの水割りふふめば北溟を一人ボートに()く心地する

 

屋上に見下ろす地には試歩の人それに付き添う人のしずけし

 

抒情詩(リリック)叙事詩(エピック)鋭く交差するアラビアなりしか 若く旅しき

 

一瞬といえども我はしかと見つ翔びゆく蜂の垂れいる肢を

 

 

浅き瀬を腹擦りながら上りゆく魚らは今日を婚姻の色

 

 

 

やわらかな言葉、おだやかなしらべ。

 

社会や生活の現実を真摯に見つめ、身めぐりの自然に心寄せながら、

 

この定型の過剰を削ぎつつ詠う。

 

いまだ見ぬ美の高みへ、そしてたましいの深みへと向かう孤高の翼!

 

  

A5版上製カバー装 2800円・税別

今川美幸『雁渡りゆき』

これの世に抱かるるための髪を梳くたちまち髪さへ咆哮すらむ 

みづからは輝くはなし裸身こそ盛装なればすずやかに佇つ

わが裡にひとひらの(こう)あらざれば恋あらざれば生きざらめやも

耳はもつともあとに死すとぞ この夜更け死にきれぬ耳あまた浮游す

訣れいくつ重ねきし身をあらあらとひき寄せて詠む うたは恋歌    

火の酒を口移されぬ たましひの冥き韻きを雁渡りゆき

 

かなしみをこそ詠え。多くの死者たちとの和解のために。

うたは恋歌がいい。雪の夜に沈み、青空に抜けていくしらべとともに。

やわからな言葉と思念の深さとで幻視する世界が闇の向こうで輝き始める。

 

四六版上製カバー装 2300円・税別

金子愛子『花の記憶』

エスペラント語研究所とある坂の上陽の当たる窓常に閉ざせり

(かほ)のない千代紙人形買ひて終る愛にとらはれし日々を旅して

呟きのごとく近頃口ずさむ「捜しものはなんですか」

勤め先変はりひと月通ふ街「花」とふ小さき茶房覚えぬ

高層のマンション一面に朝日差し当り前のやうな平穏があり

 

長い歌歴をもつ金子さんの歌には、秩序立った端正さと無秩序の愉しさがある。都市生活者としての嘱目詠、家族詠、旅行詠など、その幅の広さはそのまま人生の充実を想わせる。反面、やり直しのきかない人生の隙間を埋めるように愛を詠う。甘さも苦さも切なさも知り尽くした愛子さんの、初々しくもこくのある人生讃歌である。      (佐藤孝子)

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

十鳥敏夫『古歌の光芒』

なぜ、歌を詠むことが古典の世界に立ち返ることなのか。

万葉集、家持や防人の歌、そして西行や芭蕉、良寛の世界。

真摯に情熱を傾けて綴った、この作者のライフワークとも呼ぶべき一書から、

悠久の歴史の山河を越えて響いてくる古典という木霊を聴くにちがいない。

 

*主な内容

 

『万葉集』防人の歌ノート

越中の大伴家持

『万葉集』嗤笑歌を読む楽しみ

小野小町の花

西行の花・拾遺

玉のを柳

西行の鐘

憂愁の藤原良経

『梁塵秘抄』を楽しもう

源実朝『金槐和歌集』ノート

芭蕉の言葉『三冊子』を読む

花ぬすっと良寛

 

四六版上製カバー装 2800円・税別

 

永谷理一郎『忘れ物を取りに帰ろう』

忘れ物を取りに帰ろう 敗戦後の無限に開けた青空のメモを

原爆が昭和史を分けた アメリカではエンゼルと呼ぶサタンの花束

銀座にはママたちの夢が棲んでいた 沈んで浮いて消えた夢たち

メビウスの軌道がそっと用意され 平和の顔した戦争がくる

絆には黒い絆もあるという 原発進めた絆くろぐろ 

 

反骨の気概とやわらかな心が凝視する世界は暗か明か?

この限りあるいのちを生きる者の眼に時代はどう映るのか?

するどい批評性をたたえた歌の数々と明快な論の展開。

八十五歳、人生の忘れ物を探し続ける颯爽とした口語短歌の旅人。

 

四六版上製カバー装 1500円・税別

 

三輪良子『木綿の時間』

 

子を三人(みたり)生みて育てし歳月はたとへば木綿のやうなる時間

要介護5の<5>は鍵のやうな文字 春のとびらをこじ開けてくる

向きあひて(いん)(げん)のすぢ母とひく つういつういと日のあるうちに

虹のまた向かうに虹の立つ夕べ過ぎし人らの影を照らせり

崇福寺 正覚寺下 思案橋 サ行の(おん)の響きあふ町

 

家族をテーマにした一冊と言っていい。三人の子を育てた時間を「木綿のやうなる時間」と歌っている。木綿といえば、肌ざわりがよく、じょうぶ。通気性がよく涼しい、また厚手にすれば温かい。三輪さんはきっと「木綿のやうな」母親だったのだろう。

 

伊藤一彦・跋より

石川浩子『坂の彩』

星凍る空垂直に降りてきてサッカーゴールさえざえとあり

若きらは初夏の大気を切り裂いて一、二、三、四坂登りくる

キッチンは春のみずうみ かの世から父来てゆらり釣糸垂れる

独り身は寂しくあるか花水木坂の上にも坂の下にも

 

眠る前のバニラアイスの一匙を口に溶かせり 天上は雪

 

坂――風景の坂、心象の坂、人間の坂。

その向こう側は誰も知らない空間。

たとえばそれが希望のみえる明るさであってもいい。

現実と虚構とのせめぎ合いが迫真のうた世界を鮮やかに彩る!   

 

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

山内嘉江『ガラスのはこ』

 

眠られず独り苛立つはくめいのあさがほは今ひらきつつあるか

腹這ひてSFよみゐる少年の羽ばたかむばかり大き耳たぶ

北風のくぐもりうなる如月のはげしきものぞ春来ることも

昨日来たる山鳩ならむひつそりと雪降る枝に胸をそらして

下葉枯れつつ花穂かかぐる藤袴むかしの秋にまた邂はめやも

 

『ガラスのはこ』の歌稿を手渡されて、翌朝に入院し、病室の床頭台に広げて目を通しながら、私は不思議の感に打たれた。そこに並んでいたのは、このひとが平生、見せない種類の歌が多かったからである。人間の頭はどういうつくり(・・・)になっているのだろう、私はその時、二十年前の揚羽蝶の紫を思い出したのである。               

光田和伸・跋より

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

鈴木香代子歌集『青衣の山神』

おうおうと月に物言う子を背負い銀の霜ふるバス停にたつ

ざりガニのもにょもにょ鋏ふりあげて新三年生なり四月の教室

ほとばしる水の野性を汲みあげて樹はしずかなり豊かに笑う

われを打つ子の()に一点悲のひかり慄然としてその悲を瞠る

海神(わたつみ)にむけて信遠古道あり昏きみどりをくぐりてゆかな

生まれきし者のさみしさ聞こえきて聴き始めたり通奏低音

青衣また雪衣まとえる山神(やまつみ)に花かかげつつ人は舞うなり

 

 

 「がるるる」と鳴く蛙、「ふさふさ」と牧場に眠る子馬、「がつがつと」とやってくる寒気、「きーんきーん」と冬星を研ぐ信濃の鬼……。私たち現代人が感得できなくなってしまった気配、聞こえない音、見えない動き等々を、オノマトペの向こうにすらりと浮かびあがらせる。青衣の山神の土地・伊那谷に生きて、我が子をうたい、山神の四季をうたい、教え子たちを豊かにうたう一冊。

 

                      佐佐木幸綱

 

 

高山邦男歌集『インソムニア』【重版しました!】

縁ありて品川駅まで客とゆく第一京浜の夜景となりて

温かい気持ち未来より感じたり今際のわれが過去思ひしか

わが仕事この酔ひし人を安全に送り届けて忘れられること

赤や青繰り返し点る夜の街のどこにもゐない点燈夫たち

赤信号ふと見れば泣いてゐる隣 同じ放送聞いてゐたのか

誰一人渡らぬ深夜の交差点ラジオに流れる「からたち日記」

 東京のタクシー運転手としての仕事の歌を中心に、斬新な着想、自在な用語で、東京という都市の現在をうたい、そこに生きる私たちの心の起伏をていねいにうたう。叙情詩としての短歌の可能性を果敢に追い求める作者の渾身の第一歌集。佐佐木幸綱・帯文より

四六版上製カバー装 2500円・税別

田中徹尾歌集『芒種の地』

仲介の腕まだ錆びつかずあることを両者一歩も譲らざる場に

安全な立場にあればようやくに本音を語る空がおりくる 

腕時計して午睡するふたしかさ秋の気配が全身つつむ

心証はかぎりなくクロ 海の名の酒でも出して自白を待つか

遠つ人先ゆく雁は風をよみいのちをよみて翼ひろげる

帰省する若き部下ありいえづとに長もち持たせ背中をたたく

 

ゆくりなく有明海の舌ビラメくちぞこという幸をいただく

 

 

国家公務員である労働基準監督官として、個人の立場では発言できないシビアな場面、さらに公と私が交錯する微妙な空気を的確に表現、職場の歌に新しい領域を開いて、読者をスリリングな世界にさそってくれる。職場の歌、職業の短歌が激減している現在、果敢に職場をうたった歌集として注目される一冊である。            佐佐木幸綱

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

 

 

小宮山玉江歌集『葡萄棚の下で』

夕立の残しゆきたる大き虹(かひ)の山から山をつなぎぬ

欅の木遠くけぶりて空白しひたすらなりや今日降る雪は

手入れ終へ葡萄畑の棚の下つかれの淀むごとき夕暮れ

一瞬に奪はれし命 延命に生かされし生 思ひみるなり

流れきてここに芽ぶくかくるみの実千曲(ちく)()に春の水の流るる

 

農に生き、農に親しむ。

夫ともに葡萄棚の下で汗を流した日々。

そして、夫の看取りの日々と永久の別れ。

長く辛い時を経て、いのちの輝きを取り戻すまで、歌のしらべはみずみずしい葡萄の果汁そのものである。

四六版上製カバー装 2400円・税別

櫛田如堂歌集『ざうのあたま』

原発より同心円で括られし故郷かなしも阿武隈山系

朝霧のコロラド川に太極を舞へば彼方に魚跳ねる音

受話器越しの高揚したる妻の声抗癌剤を受けし月の夜

香りとは最も深き記憶とふ みかん剥きつつ亡き妻思ふ

眸の光追ひて離れぬ虫のあり我が湖の深みを知らず

 

放射線の科学を専門とする著者の視野には何がどのように映りどう捉えられているのだろう。如堂とは禅の師家から贈られた名である。これらの対極にあるような世界観を併せて今日の現実と対面する魅力がここにはある。にもかかわらず、いや、それゆえにこそ圧巻は第三章にある。著者は御母堂と愛妻を同時期になくされ、人生の淵に沈淪する。「ざうのあたま」の真実が酷薄な悲しみを誘う。ここを過ぎて歌はいよいよ深くなるであろう。

馬場あき子

 

四六版上製カバー装 2300円・税別

 

 

山本登志枝歌集『水の音する』

翡翠はぬるめる水に零しゆく色といふものはなやかなものを

吹く風はさびしかれども幾つかづつ寄りあひながら柚子みのりゆく

書きながら見知らぬ人に書くごとく水に書きゐるごとく思へり

青き空そよげる若葉したたれる水の音するそれだけなれど

かなかなの声をきかむとだれもみな風見るやうな遠きまなざし

 

水の音が聴こえる。そっと耳を澄ます。

なつかしいその響き、高鳴る鼓動。

太初に言葉があったように、

私の未生以前に歌が息づいていた。

こころを潤し、流れる水のように歌を詠む!

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

 

 

梅本武義歌集『仮眠室の鳩』

誤爆なぞ当然のこと見つつ注す目薬さえもまともに落ちず

明らかに我も要らざる一人なりリストラ策を練りつつおれば

ひよどりの遠啼く夕べ腕を振り脂肪燃焼志願者歩む

山畑に竹を燃やせば谺して火遊び好きの孫ら駆け来る

洗濯物干す妻どこか若く見ゆ貴重なるかなこの窓の位置

 

梅本さんの歌にはどことなくユーモアがある。客観的に自己をみる姿勢が戯画的な表現につながるのか。この余裕、大人の男を感じさせる。「大人の男歌」である。

久我田鶴子・跋より

 

四六版上製カバー装 2400円・税別

今泉進遺歌集『片翅の蝉』

片翅の失せたるゆえか捨てられて道に身じろぎながら蝉鳴く

拓かれて今は田もなし川俣事件ここにありしかありてかなしむ

脱ぎし服片づけくるるわが妻よありがとう長かりし勤め終えしぞ

秋風にかざして立てば風車のごとくわが五指なびくと思えり

妻問いにゆくか赤げら赤帽をかずきて森に波うちて消ゆ 

麻痺というあわれを知らず疑わず幼とりたりわが左手を

 

生きるということは「光」と「闇」の織りなす世界を走りきることであろう。今泉進の短歌の世界にはまぎれもない「光」と「闇」がある。昭和から平成の時代を誠実に生きた歌人の最後のメッセージ。

田中拓也帯文より

 

 A5版上製カバー装 2600円・税別

 

 

 

 

 

経塚朋子歌集『カミツレを摘め』

暗きアトリエにて生み出されし人体が水平線の窓辺に置かる

工房の倉庫に眠る粘土塊(つちくれ)を朝の光のもとに運び出す

 

 

アジアンタムに秋の日は射しかの人の()()()の戦ぎゐしこと

 

 

わたくしは雨であり車輪であり轢かれた肉だ カミツレを摘め

 

 


 ジャコメッティの塑像も倉庫に眠っていた粘土の塊も、置かれる場所が変わればまったく違う表情を見せる。そのように、家族の一人一人が、そして自分自身が、置かれた時代や場所によって、今いる場面や状況によって、多様な表情を見せ、ときに予想外の一面をあらわしたりもする。
 この歌集は、家族の一人一人の、あるいは自分自身の、多彩かつ多面的な表情を浮かび上がらせることで、この世の不思議を、さらには生きることの思いがけない起伏を、ダイナミックにうたっている。ぜひ、多くのいい読者とめぐりあってほしいと願う。

佐佐木幸綱・序文より

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

吉野節子歌集『加良怒』

西行、明恵、登志夫と書きし白紙(しらかみ)を寒満月に差し出だすなり

春寒き磯の口開け、海に入る(をみな)それぞれ化粧(けはひ)してをり

(もも)(なが)に海の(おもて)に寝ねてをり漂ひをればゆふぐれてゆく

人はなぜ舟出するのか、濃き淡き青海原のまひるの平ら

みづうみのけさの水面想ふときわれは微笑みうかべてをらむ

 

まぼろしを見る。まぼろしと向き合う。

日常の隙間を、時として古代を、

自らの歌のしらべの中にそっと喚び込む。

特異な時間意識の深層には産土の地、土佐。

はるか、輝く黒潮のかなたに歌が届く!

 

四六版情勢カバー装 2500円・税別

岩井幸代歌集『アダムとイヴの手』


 

 夫逝きて家は四角のただの箱薄羽蜉蝣の持ち去る家庭

 

絡み合う君と我が四肢白亜紀の海に漂うひとすじの藻

 

教会の塔の先より明け始むドナウは黒き眠りのなかに

 

冬の夜のラフマニノフの「ヴォカリーズ」心に積もる雪の眩しさ

 

アルゼンチンタンゴ流れる古きカフェ仄暗き灯に沈むひととき

どうしようもなく悲しくて、悲しい思いを書いているうち短歌になったので、短歌を真剣に勉強しようと決めたのだそうです。まっすぐな人だと私は思いました。切ない感動を与える歌集です。  角宮悦子

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

 

寺尾登志子歌集『奥津磐座』

 

変哲のあらぬ五月の空ひろく原発一基も動いてをらぬ

アウシュヴィッツ後に抒情詩を書く野蛮ふと短歌こそ抒情詩なるを

も少しを君のかたへに見る海のなにも応へぬ波音を聞く

山頂はしるく注連立て深々と天に交はる奥津(おきつ)磐座(いはくら)

極東を極楽とわが読み違へ黒霞()る日本かここは

 

日常の些事を詠おうと社会の悲惨を直視しようと、あるいはドイツへ旅し、家族に思いを向けようとも。齢を重ねるにつれ、作者本来の清新にして鋭い批評性が、あたかも聖なる神の依代のように、この短詩型に強く籠る。

 

詠い継ぐことで垣間見せるもうひとつの精神世界の原色の明滅!

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

岩井幸代歌集『アダムとイヴの手』

 

夫逝きて家は四角のただの箱薄羽蜉蝣の持ち去る家庭

絡み合う君と我が四肢白亜紀の海に漂うひとすじの藻

教会の塔の先より明け始むドナウは黒き眠りのなかに

冬の夜のラフマニノフの「ヴォカリーズ」心に積もる雪の眩しさ

アルゼンチンタンゴ流れる古きカフェ仄暗き灯に沈むひととき

どうしようもなく悲しくて、悲しい思いを書いているうち短歌になったので、短歌を真剣に勉強しようと決めたのだそうです。まっすぐな人だと私は思いました。切ない感動を与える歌集です。

 

角宮悦子

 

四六版上製カバー装 2500円・税別

岡一輻歌集『狂詩曲-rhapsody-』

花手折り供へむ仏もあらずけり 身裡に餓鬼を養ひいるに

多宝塔にのぼりしままの鼠なり 揺れに怖づつつ逃げるのならず

大型の業務用の冷蔵庫 かなしきものや値段の五円

八熱のうらに八寒地獄ある 後の世しらずわれら踊りき

痩せ猫を紙の嚢に入れ閉ぢる 泯びの唄と海に棄てたり

腹中にたゆたふ菩薩ひきあげり 切り刻みたり溜池に棄つ

 

遠い日の時間〈全共闘騒動の時代〉に若きらが漂流していた。地獄極楽を行き来し血糊が付いた時間のなかで変質し石化。そんなものに囚われ、ひたに吁鳴き続けてきた男が、今その暮らしの断片を掬いあげ短歌と映した。作品に見える著者の自己打擲、粘着質な文体は強烈で衝撃的だ。その質感は戦後青春のひとつの淡い模様であり、それへの遅れた〈三下半〉だろう。また豊穣の今生にあって人が忘れようとしている深層からの声文だとも云える。  帯文より

 

 

四六版並製カバー装 1000円・税別

高山美智子歌集『春を呼ぶ風』

わが庭の地下に地獄のあるならば今宵満月鬼よ出でこよ

春を呼ぶ風にちぎれし雲ひとつ天頂ちかき満月に輝る

満月を見上げてゐれば伸びて来る白うて細い一条の道

風のなき庭にちひさき風おこしるりしじみ飛ぶ菜の花の上

雷神はわれを見離し行きたらむ光りてしばし後をとどろく

一人居の心地する夜半隣室の夫はしづかに眠りてゐたる

仏桑華の花びらに雨のひとつぶが光りて朝の宇宙を映す

 

地獄の鬼たちよ満月の下に出てくるなら出ておいで。風にちぎれた雲だからこそ天頂で輝いている。満月が白い光の道を伸ばしてくる。髙山美智子さんはこの十年の間に夫が病気に倒れるという最大の悲痛を体験した。その夫を介護する日々のなかで深められた想いはたとえば満月のこの三首にはっきり読みとることが出来る。伊藤一彦

四六版上製カバー装 2500円・税別