大竹蓉子歌集『花鏡之記』

思はざる嘆き押しくる世にあれど花は無心に爛漫の春

疾風吹く平久保岬春くれば薊の花に虹色の昆虫

あらざらむことと思ふにある奇遇月は萬象の眼に宿る

自生地の尖閣に咲くうるはしき紅頭翡翠蘭夢に顕つ

花を観る花に問はるるひたごころその行くかたや花野

惻陰の心ごころに守られて来たる歳月 金環日食

 

無心に咲く花々の色香にあふれる個性•神秘的な生殖の営みには、

いっそう畏敬の念が深まります。

それらは人生の青春の美しさに等しく眩しくもあり、廃れゆく過程に見る老残の美も蓋し見逃すことができません。

すべからく人もまた老境の心理によって、美醜いずれかに傾くか、との思惟に至ります。(あとがきより)

 

A5判上製カバー装 2625円•税込

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コメント: 1
  • #1

    丹仙(田中裕) (水曜日, 21 11月 2012 14:31)

    「花鏡之記」という歌集のタイトルにまず惹かれました。私共の父祖は、恒常不変なる実体の内に美を観るのではなく、無常なる時の移りゆきのなかに揚眉瞬目の束の間に顕現し散りゆく飛花落葉に永遠を観じました。その瞬間の美の存問に応答することが歌を詠むことであったと思います。「花鏡之記」のなかで、

      花を観る花に問わるるひたごころその行くかたや花野渺々

    と詠まれているとおり、美のイデアを「花」によって象徴するのが日本の美学の伝統でした。今回の第八歌集、以前の七つの歌集と同じく、その芳醇なる語彙と情操の細密なる様が読むものの心を捉えますが、とくに現在の日本人の置かれている状況を表現するものとして私の心に響き渡りました一首を紹介します。

     自生地の尖閣に咲くうるはしき紅頭翡翠蘭夢に顕つ

    尖閣に無心に咲く紅頭翡翠蘭の美しさの前には、所詮は我意を離れぬ愛国心という大義名分も色褪せたものに見えましょう。この花の美を解せぬ人間や国家のエゴイズムの行き着くところは何でしょうか。絶滅を危惧される存在は、稀少種であるこの花ではなく、寧ろ日本であり中国であり、そして人類そのものとなりましょう。尖閣に自生するこの花、まさしくかのガリラヤに咲きし「野の花」のソロモンの栄華も及ばぬ装ひのごとく、「万象の眼に宿る」月のごとく、その美を理解せぬ者への預言の言葉となりましょう。